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zoom RSS 被爆彼岸花 atom-bombed L. radiata

<<   作成日時 : 2018/08/09 11:15  

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 今日は長崎被爆73年目。
 庭ではいろいろなヒガンバナの仲間が咲き始めています。
 73年前のあの日、地中に居て秋を待っていたヒガンバナも放射線をあびました。
 この日になるたびに思い出す、私にとって忘れ難いヒガンバナとの出合いを紹介させていただきます。
  その出合いは、ヒガンバナの染色体にとりつかれて間もない1976年の夏のことでした。場所は京都大学理学部植物学教室の静まりかえった標本庫の片隅。古びた木製の机の上で広げた一枚の台紙に張られた、色褪せ縮れた寂しげな一株のヒガンバナと出合ったのでした。
 その標本は文部省学術研究会議が昭和20年9月に設けた原子爆弾災害調査研究特別委員会の生物科学会調査団に加わった京都大学教授北村四郎が長崎西山地区の爆心地付近で採集した株の一つでした。
画像

 昭和20年8月9日午前11時2分。松山町170番地上空500m。“でぶっちょ”のプルトニウムが臨界点に達し、閃光と熱線を発して炸裂。
 調査団が長崎に入ったのはこの2ヶ月後のことです。秋が訪れた原子野で調査団が採集した数少ない植物の一つがこのヒガンバナでした。
 調査団の一人、前川文夫さんは「まるで春先のショウジョウバカマのような花をつけた数センチメートルしか丈のないずんぐりした花茎が所々に顔を出しているのをみつけた。花はほとんど開かず、しかも短くてヒガンバナ特有のあの赤さも、豪華な花弁のそり返り方もまったくみられず、みすぼらしい花つきである」と『ヒガンバナの執念』に記しています。
 原子爆弾の放射能による種の突然変異の実例になるとの期待から、かなりの数の球根が東京と京都の実験圃場に移植されました。しかし、次の年の秋が来ても1本の花茎も立たず、葉も伸びることなく、すべては死に絶えました。20年の8月、地中にあってすでに完成していた花芽はかろうじて生き残り、いじけながらも花開いたのですが、次の年の葉や花の原基細胞は放射線に射抜かれて命を継ぐことができなかったのです。
 身震いし、鳥肌立ち、心の沈む出合いでした。
 その日から30年後に金毘羅山の麓、浦上天主堂に近い江平町の路傍で採ったヒガンバナの中に、染色体異常をもった株がありました。染色体数は2n=32と正常個体より1本少なく、2本の染色体が融合していました。この染色体突然変異がどんな原因でいつ起こったのかはわからないものの、被爆の厄災を生きのびたヒガンバナの子孫ではあるのでしょう。


 

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